稲井法律事務所

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ごあいさつ

1「時代が生んだ問題を解決し続ける」

日本弁護士連合会 東京弁護士会所属 稲井法律事務所 弁護士 稲井孝之( いない たかゆき )

⑴ プロフィール

1945年生まれ。和歌山県出身。
司法試験合格後、司法研修所の実務修習を経て、弁護士登録。先達の法律事務所で勤務。
1973年に日本橋茅場町に『稲井孝之法律事務所』を開設。その後、1976年に日本橋兜町に移転し、1994年に千代田区九段南へ移転、現在に至る。
趣味は、囲碁とゴルフと旅行。

2「少しでも長く、人の役に立ち続けたい」

⑴ 今の仕事をはじめたきっかけ

父が55歳で定年を迎えたとき、まだまだ健康で十分に働けるにも拘わらず仕事を退かざるをえなくなった姿を見て、「定年がなく、長く続けられる仕事をしたい!」と考えるようになり、弁護士を目指した。大学生時代は学生運動の真っただ中で、授業どころではなかったが、図書館にこもって仲間と勉強を続けていた。周りから『図書館族』と呼ばれていた私たちは、その後7~8割が司法試験に合格した。司法試験の合格後は居候弁護士として法律事務所に勤務し、2年後に独立した。最初は自宅兼事務所としてスタートし、その後、知人に紹介された日本橋茅場町のビルに移り、『稲井孝之法律事務所』を開設したが、すぐに手狭になってしまったため、1976年に日本橋兜町へ事務所を移転した。居候弁護士を雇用し続けるには、幾分狭かったので、1994年に現在の九段南のビルに移り、今日に至る。

⑵ 仕事の特徴は、どのような点にあったか?

現在は『後見人』に関する相談が増えている。これまでも時代ごとに世相を反映した数々の相談を受けてきた。事務所の開設当初の1970年代は『交通事故』『手形・小切手』、1980年代は不動産の賃貸借契約に関わる『契約書チェック』『賃料の増額』。1990年代は先物取引やFX(外国為替証拠金取引)などの金融投資に関わる『消費者問題』が多かった。2000年代に入り、『特許』『商標』などの知的財産に関わる権利侵害や損害賠償問題に取り組むことになった。今でこそ多くの判例があり、法令の整備もされているが、私が受けていたころの相談は、前例が少ない問題ばかりだったため、海外の論文や類似する業種・業界の判例を参考にしながら、正しい判断へ導くために、悪戦苦闘しながら取り組んでいた。現在増えている『後見人』ですが、実はまだまだ氷山の一角で、これからもっと相談が増えると考えている。自分の意思をハッキリと伝えられなくなる前に、自分の想いに沿った生活を送り続けるための仕組みづくりについて、是非ご相談いただきたい。

3「手抜かりなく最善を尽くす」

⑴ どんな顧客が多いか?

『後見人』『保佐人』に関する相談は、70代後半の高齢の親を持つ子どもから持ち込まれることがほとんどで、ありがたいことに紹介が多い。その他、区や社会福祉協議会の相談員をやっていたこともあり、それらを経由した相談も受けている。併せて、遺言書の証人に加わったり、遺言執行者に指定されて、遺言執行も行っている。後見人として、定期的に本人と面会していたが、新型コロナウィルスの影響で、会うことができないケースが出ていた。その場合は、ケアマネジャーさんや看護師さん、ヘルパーさんなどに「どんな様子でしたか?」と話を聞くことで、なるべく多くの情報を得ようと務めた。そういう意味では、家族が近くにいる本人のほうが、サポートはしやすい。その他、法人の顧問先や関与先など10数社の企業法務事案を担当している。

⑵ 仕事をするうえで、心掛けていること。

どんな相談でも、引き受けたからには“手抜かりなく最善を尽くす”ことを心がけている。最初に相談をいただいた時点で情報が揃っていることはめずらしく、情報としては半分程度しか分からないということも少なくない。そんな中で引き受けるかどうかを決めることになるが、後になって詳しく聞けば聞くほど大変になっていく案件も。そんな時でも、色々なデータや、法令、判例を調べ、自分のやれることをきっちりやろうと考えて、前のめりで取り組んでいる。世相を反映した問題は、取り組み甲斐があるので、これからも関わっていきたい。AIの進歩もあり、これからも新しい問題は必ず出てくる。常に新しい問題を解決するために、これからも学び続けて、一人でも多くの人を救っていきたい。

日本弁護士連合会 東京弁護士会所属
稲井孝之法律事務所  弁護士 稲井孝之 ( いない たかゆき )